元お笑いコンビ「ドロンズ」大島直也さん 番組断り介護…がんの母、反応性うつ病も併発し限界

元お笑いコンビ「ドロンズ」大島直也さん 番組断り介護…がんの母、反応性うつ病も併発し限界

 タレントで元お笑いコンビ「ドロンズ」の大島直也さん(46)は昨年7月、母のいくよさんを81歳で亡くしました。がんが見つかってから約1年半の間、芸能界の仕事をほとんどせずに介護を続けました。「親孝行をしたかったが、介護がこんなに大変だと思わなかった」と振り返ります。



 「定期健診に引っかかったので、一緒に病院に行ってほしい」。2015年12月、母から電話がありました。



 母は、04年に父が他界してから、神奈川県の自宅で一人暮らしをしていました。それまで大きな病気をしたことはなかったので、びっくりしました。色々な検査をした結果、16年2月に肺がんと診断されました。ステージ4で、腰骨にも転移していました。



 当時は、久しぶりにテレビのレギュラー番組の仕事が決まり、意気込んでいるときでした。しかし、介護が始まると、長時間拘束されたり地方に行ったりする仕事は難しい。兄と姉は遠方にいる。悩みましたが、「母を一人にしたくない」と思い、芸能の仕事は断ることにしました。



 <大島さんは、がん治療の専門病院に通いやすい所にアパートを借りた。いくよさんと2人で暮らし、介護生活が始まった。>



 母はもともと社交的で、老人クラブにも参加していました。しかし、引っ越しをしてからは、急に引きこもるようになってしまいました。友人から電話があっても「二度と電話しないで」と言って電話を切ることもありました。買い物も一人では行かず、いつも私が付き添いました。



 やがて、身の回りの世話の全てを、自分勝手な思い付きで、私に言いつけるようになりました。イライラが募り、ついきつく当たることもありました。



 ある日の朝、「何時に帰ってくるの」と聞かれたので、「遅くなる」と答えました。すると、「帰ってきたら死んでるかもしれないから」と言われました。思わず顔を母に近づけて、「どんな気持ちになるか分かっているのか」とどなり、手で床をたたきました。



 「母が心配で自分から始めた同居なのに」と、自己嫌悪に陥ることも度々でした。16年の夏頃に分かったことですが、母はがんになったショックから、反応性うつ病を発症していました。



 <大島さんは「このままでは2人とも自滅する」と考え、地域包括支援センターに相談に行った。ケアマネジャーからは、デイサービスを利用するように勧められた。>



 母はデイサービスに行くのを嫌がりましたが、ケアマネジャーから「引きこもってばかりもよくない」と説得されました。実際に通い出すと、結構楽しそうでした。



 しかし、腰の痛みがひどくなり、外出もままならなくなりました。自分でできることがどんどん減りました。つたい歩きができなくなり、ハイハイするようにしか移動ができなくなりました。



 私がコールセンターのアルバイトから帰ると、ツーンとした糞尿(ふんにょう)の臭いがすることも増えました。おむつをずらしてしまうので、布団の周りが便だらけのことも。片付けをしながらも、「こんな生活がいつまで続くのか」と不安で仕方なかったです。



 <いくよさんは17年1月、放射線治療のために入院。その後は、自力での生活は困難になり、大島さんは自分だけの介護に限界を感じたという。いくよさんは同年4月、特別養護老人ホーム(特養)に入所した。>



 特養には正直、暗いイメージがありましたが、そこは、とてもきれいな施設でした。さみしくないようにと、花を飾ったり父の遺影を置いたりしました。私も2日に1回は会いに行きました。



 母は次第に食事ができなくなりました。同年7月には、特養の担当者から「看取(みと)りと葬儀の準備をした方がいい」と言われました。母の回復を願って会いに行く一方で、「少しでもいい形で送り出したい」と葬儀の準備を進める。まるで自分が2人いるような感覚でした。



 亡くなる数日前には、特養から連絡を受け、姉も駆けつけました。交代で特養に寝泊まりをし、見守り続けました。最後は、苦しむことなく旅立ちました。介護が終わり、ほっとした気持ちと、もっと色々できたことがあったかもという気持ちがあります。



 いまは芸能界の仕事に戻りました。しかし、介護の体験を伝えたい気持ちもあり、介護者の支援活動に参加するようにもなりました。



 介護は本当に大変なことですが、介護している人がつぶれてしまったら終わりです。実際に、悲しい事件も耳にします。自分の生活を大切にすることで、人にも優しくなれる気がします。(聞き手・加藤亮)



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